2015年08月07日

Guruji

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〜 Guruji 〜

A portrait of Sri K.Pattabhi Jois through the eyes of his students より


- R. Sharath Jois −   


R.シャラース・ジョイスはグルジの孫であり、19年間グルジのアシスタントをつとめ、7歳のころにヨガにふれ、14歳のときに練習を始めた。現在はマイソールのシュリK.パタビ・ジョイス・アシュタンガヨガ・インスティテュートの指導者である。

また世界各国を訪問し海外でも教えている。


以前、グルジと彼が教授を務めていたアドヴァイタヴェーダンタとヨガの違いについて話したときに、彼は「アドヴァイタヴェーダンタとヨガは同じものだ。違いはない。アドヴァイ タヴェーダンタは内側の側面、ヨガは外側の側面だ。」と言っていました。

アシュタンガヨガの観点からヨガについてお話していただけますか?


まず最初に言いたいのは、アシュタンガヨガというのは、ほかのものとは異なる独特のヨガだ ということです。

アシュタンガヨガで大切なのはポーズだけではなく、正しい呼吸、というのはウジャイ呼吸のことですが、それからヴィンヤサクラーマ(vinyasa=呼吸と体の動きをリンクさせること krama=途切れない流れ)です。

これはクリシュナマチャリヤから伝わるとても力強い練習であり、その体への影響はほかのものからは得ることのできないものです。

ですので、私はこの練習方法はほかのものとはまったく違うものだと考えています。


練習によって体全体がエネルギーで満たされます。やってみればその違いがわかると思います。また哲学の面においても。

シャンカラチャリヤの本によると、アーサナの練習において、常にムーラバンダをしなければならないと言っています。アーサナというのは、自己理解のために構築していく基礎の役割を果たします。正しくアーサナの練習をすれば、意識と身体は変革を起こします。その変化を感じ、その違いを理解することができるようになる。 人によってはヤマとニヤマを実践するのがとても難しい場合があります。しかし、アーサナの 練習によってヤマとニヤマとは何か、そしてアシュタンガヨガのほかのすべての枝を理解できるようになると思います。 グルジとクリシュナマチャリヤの教え方では変化の手段としてたくさんのアーサナを練習しますが、できるアーサナの数にかかわらず、正しい練習をしていればヨガとは何であるかということを理解できると思います。 ハタヨガプラディピカには、健康なマインドと健康な身体なくしてはブラフマニャーナ (Brahma Jnana)とは何かを理解することは難しいと書かれています。神とは何か、神聖なもの(divine)とは何か、そしてそれは私たちの内側にあるということを理解すること。そしてそれは練習によってのみ可能になります。数多くの書物を読んだとしても、実際の経験がなければそれを理解することはとても難しいでしょう。多くの本を読み、ヨガについて多くの知識をもっているけれども、実際の経験がないという人がたくさんいます。自分自身の経験がなければその知識は役に立ちません。


アーサナの練習がどのように変革を生み出すのでしょうか。アーサナの練習からブラフマン への理解に到達するにはとても大きなジャンプが必要に思えます。その間に何が起こるのでしょう?


練習生の中には二つのタイプがあります。ヨガをスポーツのように健康になるためのものとして見る人。ただ、そこには限界があります。ヨガをもっと大きな意味で、違う見方で精神的な練習として見ると、あなたの内側で起こるたくさんの変革に気づくと思います。 アーサナの練習を始めると「アーサナの練習についてもっと知りたい。哲学について本当のヨガについて知りたい」という気持ちが出てくるでしょう。ヨガとはアーサナを超えたものであり、アーサナはヨガの枝の一つです。 ヨガとはチッタヴリッティニローダハ(Chitta Vritti Nirodhah:意識の波を静める こと)。感覚器官をコントロールし、神聖なもの(divine)、つまりブラフマニャーナ (Brahma Jnana)とは何かを理解すること。人はそれに対する欲求をもっています。 「神とは何か?」すべての人がヨギではありません。私たちはヨギになろうと努力している のです。 インドでもヨガの練習をする多くの人たちが、ヨガをスポーツと考えています。そして競争します。ほかの人よりも上手に演じることだと考えています。それはヨガではありません。 ヨガはまったく異なる意味をもっています。神を崇拝する一つの方法です。神を崇拝することにおいて競争することはできません。

実質的な意味合いにおいて、何がその変化を起こしているのでしょう?何か例をあげていた だけますか?20年か、25年か、30年か、あなたが何年練習しているのか詳しくは知らない のですが。すべての人格が変わり、柔らかくなると思います。


それは自然現象という意味で無意識的に起こることですか?それとも練習の中での意識の使い方によるものでしょうか?


練習です。例えば、地球からひとかけらの金を取ったとしましょう。それはまだ純粋なもの ではありません。まずはそれを熱しなければならない。熱すると不純物、すべての悪い物質 が取り除かれ、ようやく純粋な金を手にすることができます。ヨガはそれと同じようなものです。

始めたばかりのときは、あなたの中にはたくさんの不純物がある。アーサナの練習を 重ね、哲学についての書物を読む。とはいえ一番重要なのは実践的経験を積むことです。そうすることで、ゆっくりと金のように私たちの体は浄化され、そうすることでより多くの 気づきを得ることができるようになります。


そうは言っても、練習がそのような変革を起こすというのは、私にとってはまだ不思議なこ とに思えます。


先ほどもお話したように、日々の生活の中でヤマとニヤマに従えば迷うことはありません。 長い間練習を続けてもヨガとは何か理解できない人たちもいます。なぜならそれはヤマとニ ヤマを理解していないからです。すべてはつながっています。ヤマとニヤマ、そしてその次

にアーサナがあります。ヤマとニヤマを理解しなければヨガの本質を理解することはできな いでしょう。だからヤマとニヤマが一番最初にあるのです。 アヒムサとは非暴力。誰かに対して良くない考えをもつこともヒムサ(暴力)にあたります。肉体的にだけではなく考えるときも、ヒムサを行うべきではありません。意識が悪い考 えをもたなければ、悪い行動も起こさない。だから肉体的にもヒムサを行うことはないはずです。 ヨガの練習生はヤマとニヤマを実践しなければなりません。アヒムサを自分で実践しなければならない。マハトマ・ガンディーのように他者の見本とならなければならない。彼はこう言っています。「アヒムサは私の最初のダルマ(義務)である」と。「私はアヒムサに従う。私は非暴力であり続ける」と。多くの人がガンディーに刺激を受け、多くの人が彼を信奉しました。 それぞれの人がガンディージのようになるべきです。

彼のようになるのはとても難しいこと で、誰でも彼のようになれるというわけではありません。しかしそうなれるよう努力しなけ ればならない。それが真のヨギです。たとえすべての文書や本を読んだとしても、有名な学 者であったとしても、自分自身の日々の生活でヤマとニヤマを実践しなければ、たくさんの本を読むことや、たくさんの学位を取ること学者になることに、なんの意味があるでしょうか?

ヨガの練習生はこれらに従うことを、せめて努力だけでもしなければなりません。


多くの人にとっての練習における最も大きな障害とは何だと思いますか?


障害はたくさんあります。欧米では生活の中にたくさんの選択肢があります。そして選んだ ものが欲するものでなければそれを離れて、ほかのものを選ぶことができる。一つのことに すべてを捧げるということがない。 練習についてだけ話しているわけではありません。練習というのは一つの側面で、その練習 が、何か一つにすべてを捧げるための助けになるはずです。何か一つというのは、家族でも仕事でも、あなたのダルマ、つまりあながたしなければならないこと、なんでもよいので す。あなたたちには選択肢がありすぎる。


「義務」とは?


社会に対する義務です。ヨガを教えるということも社会福祉のようなものです。あなたの知 識を人々に与え、そして人々がその知識によって利益を受ける。そしてそこでのヨギもしくは先生のダルマ、つまり義務とは自分が先生から学んだことを正しく教えること。すべの 人がそれぞれの得意分野をもっています。ヨギである人もいれば、エンジニアである人もい る。その得意分野にすべてを捧げなければならない。仕事がなんであれ、それにコミットし なければならない。そしてその意図や仕事というのは、人々の役に立つということであるべきです。


肉体的なアーサナ練習の観点から言うと、ここに来ているほとんどの生徒はその肉体的な練習に興味があると思います。その中でとくに大きいといえる一つの障害を挙げられますか?

生活スタイル、仕事、食事、もしくはブラフマチャリヤの欠如でしょうか?欧米の生徒にとって最も強くネガティブな影響を与える障害はこの中にありますか?


もっとも大きな障害はブラフマチャリヤだと思います。一人の人にすべてを捧げること。こ れはとても大切なことです。欧米の生徒の中ではこの意識は低いと思います。これは人生の 中でとても大切なことです。マインドが乱されると、マインドは弱くなります。一つのこと にコミットしなければならない。家族であれば、あなたの妻と子どもにコミットする。それ がすべてです。ほかのことにマインドを乱されてはいけない。


あなたがおっしゃっているのは、マインドの乱れが最も大きな問題であるということですか?


そうです。精神的に強くならなければならない。何か一つにすべてを捧げられているのが強 いマインドです。ヨガは、それぞれの人が目指すところにまっすぐ進むための助けになるべきものです。


系譜、つまりパランパラの重要性についてお話いただけますか?


まず第一にヨガはパランパラによって伝えられなければなりません。先生であるグルから生 徒であるシシャ(shisha)へと、グルから長い時間をかけて学んだ伝統を、またその生徒に伝えること、それをパランパラと言います。そしてグルとシシャの関係、グルとシシャの 間の結びつき。グルと過ごす時間が長ければ長いほど、彼のことを理解し、そして彼の知識 と彼の教えもまた深く理解できるようになります。そうして父と息子のような関係になっていきます。グルへの理解が深まるにつれ、より多くの知識が伝えられ、彼が何を言おうとしているのかをより深く理解できるようになります。例えば1ヶ月もしくは2ヶ月の間、グルと過ごしたとしても、あなたの知識と理解は限られている。私は長い間、グルジと時間を共にしてきました。そうですね17年間としましょう、この2年間グルジはとても具合が悪く、 教えることができないので。それでも17年の間、私はグルジを見て、グルジがクリシュナマ チャリヤ師から学んだ知識と経験を彼から学んできました。彼の教えとは、その知識を本当 に知っている人しか教えられないものであり、それが私たちが今やっているヨガのメソッド です。最近ではパランパラのことを知らず、系譜のことを知らず、グルとシシャの関係のこ とを知らない人が増えています。みなすぐに結果が出るものを欲しがる。1ヶ月で資格を取 り、1ヶ月でヨガの先生になりたがる。生徒になる前に先生になりたがるのです。それは無理なことです!ヨガとは科学のようなもので、すべてのステップが学びであり、すべての練習が学びです。それなのにどうやって1ヶ月や2ヶ月で先生になることができるというのでしょう?練習を理解し、あなたの先生を理解し、その先生が何を教えているのかを理解す ることはとても大切です。それには長い時間が必要で、あなたは多くのエネルギーを費やさ なければならないでしょう。そして同時にあなたの先生も多くのエネルギーを費やしている のです。私がグルジに見たものとは、彼のグルであるクリシュナマチャリヤ師から学んだの とまったく同じ方法でヨガというものを示していたということです。もちろん細かい違いは あちこちにあったと思います。しかし彼が学んだ練習の原形を、グルジは同じ形で伝えていました。それがパランパラなのです。彼は自分が学んだことを、同じように教えていた。グルジは独自のヨガを教えることもできた。パタビジョイスヨガ、とか、ジョイスヨガ、とい う名前を付けて、彼独自のメソッドを創り出して教えることもできたはずですが、彼はそれをしませんでした。彼はクリシュナマチャリヤ師から学んだのと同じことを、彼の生徒に教 え、そして彼の生徒のほとんどがまたグルジに教わったとおりに教えています。このように つながっていくのがパランパラであり、それが私たちが従っていくべき系譜なのです。最近 はヨガの本質を理解していない人たちがたくさんいます。ただ身体的なものだと考える人 や、独自のメソッドを創り出す人たちもいます。それは偽りです。ヨガというものを偽って 世界に伝えている。ヨガの本当の意味とは、私たちの内なる自我(Self)についての自己 理解を得ること、私たち自身を理解することです。だからそれがなければ、ただの身体的な 練習になり、みんなそれぞれ、パランパラから伝わったものではない独自のシステムをもつことになる。パランパラによって教えている人はほんの一握りしかいません。


あなたがグルジ、クリシュナマチャリヤ、そして誰であれクリシュナマチャリヤ以前のグル とパランパラについて話すとき、グルジがあなたに教えてきたすべてのことを、またあなたの生徒たちが繰り返すこと、そのつながりを断ち切らない、ということを指摘しているのですか?


そうです。それがパランパラの本質です。

ということは、もしあなたが独自のヨガをつくろうとすると、あなたはそのつながりを断ち切ってしまう、ということですか。

そうです。つながりを断ってしまう。ご存知かもしれませんが、インドにはゴートラ(氏 族)があります。私はゴータマシャゴートラです。それはずっと以前の先人からつながって いるもので、私が突然それを変えることはできません。明日「私はゴータマシャゴートラで はない」と言うことはできません。私は「私がなりたい」ゴートラになることはできないの です。それは可能でしょうか?できませんよね。パランパラもそういうものです。 パランパラとは先生との結束も意味しています。グルと過ごす時間が長ければ長いほど、彼 のエネルギーは強くなり、そしてそれはより強くあなたにも伝わり、彼の経験も伝わるでしょう。パランパラにおいては、あなた自身も研究しなければなりません。グルから学んだら、そこで終りにするのではなく、その知識をさらに深めることができます。それぞれの知識が深めることができますが、その基礎となるものは変わりません。

グルジがどのようにあなたにエネルギーを与えたのか、どのようにあなたの練習にエネルギ ーをそそいでいたのか、そしてそれがあなたを形成するうえでどのように役立ったか、ということについてお話していただけますか?

私が練習を始めたとき、ヨガを初めてする人が誰でもそうであるように、理解するのはとても難しかった。でもグルジが私の練習を手助けし、アーサナを教えてくれました。そして私 は彼の助けを受けながらアーサナの練習をしていく中で、体も心も、すべて変わり始めまし

た。以前の自分とは同じ自分ではないと感じるほど、考え方も変わっていきます。それは私 の学びの上でとても深まったことの一つです。マインドが強くなると、体も強くなります。 また学びという側面のほかに、教えるという側面もあります。私はどちらも経験しました。 私はグルジから教わるだけではなく、教えるグルジを助けることもしました。クラスで彼を手伝いながら、いつも彼を観察していました。彼がどうやって生徒を手助けするか、どうや って教えているのか。自分の練習を終えると、彼がどのように生徒を助けているのかをいつ も見ていました。それも彼を理解するとても良い機会でした。彼の指導方法は素晴らしく、 そしていつも多大な努力を注いでいました。教えるにはかなりの肉体的エネルギーが必要で す。ただ口で言うだけではなく、たくさんの生徒をアジャストする。たくさんいる生徒一人 ひとりのところに行って持ち上げたりしなければならないのです。私が彼を手伝い始める 前、70歳にもなろうという彼が一人で教えていました。70歳をすぎてもなお彼は教え、す べての生徒を持ち上げたりしていたのです。


グルジは人を見る特別な目をもっていたと思いますか?


そう思います。先生として、生徒を理解することはとても重要です。生徒はみな違います。 それぞれ違う体を持っている。ある生徒はとても柔軟で、ある生徒はとてもかたい。だから 生徒をよく理解しなければなりません。彼のアーサナをより深くするために、どのように教えたらいいのか、どのように助けたらいいのか。とても大切なことです。グルジはその技術 を持っていたと思います。彼は自分の豊富な経験から、それぞれの生徒をどのようにアジャストすればいいのかをわかっていました。彼はよく生徒の内面までも読み取り、日々の練習 を深められるような教え方をしていました。グルジがどのように生徒を見て教えていたか、 というのが私が彼から学んだ最も大きなことです。


彼は人の表情を読み取ることにも長けていたようですね。


そうですね。表情だけでなくすべてだと思います。生徒を見るとき、体だけではなく、彼らのマインド、彼らの考え方までも見ていきます。ある生徒に何度も同じことを言ったとしま す。でも彼は何度言われても理解しない。彼の理解力はとても限定されていると言えます。 また一方で一度か二度言っただけですぐ理解する、二回言えば必ずわかる、という生徒もい る。教えるためには彼が理解するまで伝えるという忍耐力も必要です。グルジはその素質を もっています。とても忍耐強い人です。同時に彼はとても厳しくもありました。厳しいとい うのもとても大切なことです。先生が厳しく教え、生徒がそれを恐れて学んでいく、という のはインドの伝統的な教え方です。


私は昨日、ヨガについての人々の見方についてマンジュと話していました。欧米で私たちが ヨガの練習というものを始めたのは比較的最近なので、その捉え方も非常に限られています。グルジからそしてあなた自身から見て、ヨガの大きな全体像というのはどのようなも のでしょうか?

そしてそれはどの視点から見たものでしょうか? 例えば、だいたいの視点はヨガマットの上からです。それが焦点となっています。あなたとグルジは、どの視点からヨガを見ているのでしょう?


そうですね、ヨガの理解は80cm×200cmのマットの上からだけでは得られません。それは ほんの一部です。私たちが練習しているアーサナはヨガのたった一部分です。ヨガ、という のはつまりパタンジャリヨガのことですが、その中でヤマとニヤマの重要性について言われ ており、アシュタンガヨガの最初の二つのステップだとされています。アヒムサ、、、ショ ウチャ、、、これらすべてのことを私たちは日々の生活の中で実践すべきなのです。グルジ はとてもシンプルで、子どものような人です。彼は自分がどれだけ有名なのかまったくわか っていませんでした。本当にシンプルな人です。どんな人が来てもその人たちと話し、とても陽気で、笑顔を絶やすことはありませんでした。例え悪いことを言われたとしても、グルジは笑顔でした。私はある生徒たちがグルジに馬鹿げた質問をしているのを聞いたことがあ りますが、彼はただ笑っていました。彼は内心では私たちがヨガを理解するためにはもっと 練習をしなければならないと思っていたであろうと思いますが、その質問をした人は自分が すでにヨガをマスターしたような気になっていたのでしょう。それでもグルジはただ笑顔で いました。グルジは、彼がわかっていないことは、自分にもっと練習が必要だということだ と思っていたと思います。インドの練習生と欧米の練習生のヨガの理解はまったく異なりま す。とくにパランパラを通して学んだ人の理解とは大きく異なると思います。 欧米について思うのは、これは過去8年、9年間訪れて感じたことですが、考え方、とくに 自分をマーケティングする、というところがまったく違うと思います。ヨガはそういうもの として広まってきました。とても商業的になってしまった。しかしグルジの視点から考える と、現在ではグルジはインドを、そして世界を代表するヨガグルの一人ですが、グルジにし てみればそんなことは関係のないことなのです。お金持ちであろうと貧しかろうと、彼の意 識の状態はいつも同じです。とくにこの2年間グルジを見ていてそう思いました。彼は何度 も病院へ行かなければならなかった。病院へ行くときでも、彼のマインドは穏やかでした。 パニックを起こさず、恐怖心もない。手術をするときもまったく恐れなかった。それがヨガです。ヨガの練習のおかげで彼のマインドはいつも静かで、彼のマインドが変わることはあ りませんでした。ヨガというのは日々の生活においてのヤマとニヤマです。それがなければ アーサナの練習は何の役に立つでしょう?


グルジの生活はすっかり異なるものになっていますが、この1年半の間にグルジが経験して きたことについて何か気づきはありましたか?彼はいつも健康な状態に戻ることを絶えず前 向きでいるように見えます。


彼はヨガと、彼が今までしてきたこと、何年にもわたる練習を心から信じています。彼の心にあるのは「自分の身には何も起こらない。ヨガが、そして神様が自分の面倒を見てくれ る」ということです。要するに彼は頭で考えるということはしない。もし自分の身に何か が起こると考えたら、あなたの内面で恐怖が生まれるでしょう。でも彼は今の瞬間に生きて います。「今この瞬間、自分は生きている。そして次の瞬間も生きているだろう。」これが 彼の心にずっとあることなんだと思います。そしてそれが彼を強くしている。一度恐怖を覚 えると、私たちは精神的に自分を病気にしてしまう。恐怖が生まれると具合が悪くなり、そ うすると体に病を生じる。グルジは以前から精神的にとても強かったけれども、それは今も変わらずとても強い。意志の力をもっている。今でもグルジが歩くときに誰かが支えようと すると、それを嫌がって、「手を握らないでくれ。一人でもちゃんと歩けるから!」と言い ます。彼は(付き人の)キラン(Kiran)に「一人で歩けるからさわるな!」と怒鳴りつけ ています。そういう意志の力を彼はもっています。


では信じること(faith)の大切さについてはどうですか?シュラッダ(shraddha)とは 信じること、それとも信じること以上のことだと思いますか?


シュラッダ(shuraddha)はfaith、信じること、それ以上の意味があります。感覚器 官、肉体、あなたのすべてを放棄すること、練習にすべてをゆだねることでもあります。私 が毎日2時間以上アドバンスのアーサナを練習していたとき、体のあちこちに痛みがありま した。起き上がることすらできない日もありました。そんなときもグルジに「練習しなさい。それよりひどくはならない。」と言われ、言うとおりに練習をするとその日はまったく 痛みが起こらなかった。ヨガの練習で何度も腰を痛めましたが、グルジは「大丈夫、心配す るな。一日、二日プライマリーの練習をして、元の練習に戻りなさい。」と言って私の練習 を助けてくれました。グルジがある特定のアーサナでアジャストしてくれると、体の痛みは なくなりました。それがサレンダー、すべてをゆだねるということです。とても大切なことです。昔は親が子どもをグルクラ(gulukula:グルの元で学ぶインドの自然学校)に送ったものでした。そして子どもたちはグルに仕え、グルの言いつけに従いながらそのグルの教 えを学んでいきました。それは簡単なことではありません。それこそがグルへのサレンダ ー、降伏です。そこから何人の学者が生まれたでしょうか。例えばクリシュナムルティで す。彼は自分の村を離れてここに来ました。彼はサンスクリットカレッジを信頼し、彼のグ ルを信頼し、そしてジョーティシュ(Jyotish:インド占星術)を学びたかったので、行って学んだ。グルジもそうです。自分の家族も何もかも置いて村を出ました。彼はアドヴァイ タを学びたいと心に決めてマイソールにやってきた。その間いくつもの困難を乗り越えなけ ればならなかったけれども彼には信念があった。クリシュナマチャリヤ師から学ぶことにお いてもそうです。クリシュナマチャリヤ師はよく生徒をケガさせたものでした。それも多く の生徒です。教え始めたときは100人の生徒がいても、終わるころには3人か4人しか残って いない。何が起こったのか、どんな困難があったのか、私は知りませんし話しませんが、グ ルジがヨガを学ぶことにおいてどれほどのシュラッダ、信念を持っていたのか計り知れませ ん。彼はグルの元へ行って学び、すべてをゆだね、そして今現在の彼があるです。

まずはそのfaith、信頼がなければ彼の知識は、、、 その知識はあなたのもとにはやってこないし、あなたに伝わりません。


なんの練習に取り組むとしても、まずはその練習に効果があることが証明されて初めてそれ を信頼する、と考える人がいます。あなたが言っているのは、まず信頼しなさい、というこ とですね。


そうです。まずは信頼することです。すべての人がアドバンスのアーサナ、第6シリーズまで

すべてを練習すべきだとは言いません。それぞれの体と心によって適正な練習があり、みん な同じではありません。しかし強い土台をつくるためにはアーサナの練習をすべきです。ア ーサナの練習で心もすべて変わります。しかしあなたがグルから学ぶことはそれだけではな く、ほかのすべてのことも学ばなければなりません。シンプルであること、ヤマ、ニヤ マ、、、。グルがあなたに言う日々の生活の中で従うべきこと、それがあなたの態度を変え ていきます。それがあなたの生活のすべてを変えていくでしょう。

ここで文化の対立を感じることはありますか?肉体的な側面のほかに、欧米の生徒にヤマと

ニヤマの大切さを理解させることに難しさはありますか?

欧米の生徒がすべて間違っているとは言いません。私たちが彼らから学ぶこともたくさんあります。彼らが私たちから学ぶだけ、というわけではないのです。彼らはとても礼儀正しい。概して、私たちの中で礼儀正しい人は多くありません。それもヨガの一部です。それか ら人は常にシンプルでなければならない。それも欧米の人たちがもっているものです。彼ら の視点から言うと、彼らがマイソールにやってくると、この国の文化をとても好きになりま す。彼らの文化とはまったく違う。家族のつながりがない人も多く、家族と一緒に暮らすこ ともない。18歳になったらすぐに家族のもとを離れて、自活していかなければならない。

欧米のヨガは主に身体的な視点から見られていると感じたことはありますか?

60%かそれ以上の人々がヨガは身体的なもの、単なる運動だと考えているのではないでし ょうか。でもそれは欧米だけに言えることではありません。インドでも同じです。インドに も、伝統的ではない方法で教えるヨガの先生がたくさんいます。彼らはただ体を曲げている だけ。ただ体を曲げるためだけならば、サーカスに行けばいいのです。


生徒たちがヨガ的な生き方を受け入れ、ヨガというものを完全に身体的なものとしてだけと、とらえないようにするために、どのような努力をしていますか?


週に1回だけ話をする時間をもち、そのときにそういうことを伝えるようにしています。生徒たちが日々の生活で何をしているのか始終見ているわけにはいきません。大勢の生徒がい て、一人ひとりを常に見ていることはできません。先生というのは、生徒を導くことしかできない。「これがバンガロールへの行き方です。この道を進むとたどり着けます。美しい町 で、そこに行けば色々なものを見ることができます。」というように、先生は道を示してく れますが、バンガロールはあなた自身が見つけなければならない。私が一緒にバンガロール に行って、すべての人にバンガロールを見せてまわることはできません。先生と生徒の間の 意思の疎通はとても大切です。私はとても長い時間を祖父と過ごしました。そして彼から本 当に素晴らしいことを学びました。日々の生活、プージャ、考え方。これらに感銘を受け、 私は今そのスワディヤヤ(svadhyaya)に従おうと努力しています。私たちはそれぞれに 宿題をやらなければならない。私たちそれぞれの仕事をしなければならない。私にもまだま だ学ばなければならないことがたくさんあります。学ぶことは本当に膨大で、まだほんの始 まりです。すべてのステップがヨガの練習のようなものです。

グルジの生活、彼の生き方、その中からあなたが見つけたこと、そしてあなたも生活の中で 実践し、自分の仕事に役立っていること、またあなたに合っていることはなんですか?

すべての基礎は同じだと思います。彼の土台となっているものも同じです。彼は子どものよ うな人です。何に対しても嫉妬というものを持たない。何に対してもいつも平常心です。誰 に対しても悪い考えをもつこともありません。それはとても大切なことです。とくにヨガの 練習生にとって大切です。誰に対しても、何に対しても良くない考えをもたないこと。もし 良くない考えが起こったとしても、それは長くとどまらず、すぐになくなるべきです。彼は マインドや、彼自身の中に何もとどめておきません。そういうものを長い間とどめてしまう 人もいます。彼はそうではありません。そういうものがやって来てたとしてもすぐに去る。 怒りの感情が起こっても、やってきてすぐになくなる。すぐに怒り、次の瞬間にはその感情 は消えて、もう残っていません。だから彼の意識はいつもとても澄んでいる。意識が澄んで いると、悪い考えは浮かばず、あなたの中に悪いエネルギーが起こることもありません。そ れはヨガの先生、そして練習生にとって非常に大切なことです。それが私が彼から学んだことです。

私が質問しなかったことで、あなたから何かお話したいことはありますか?

祖父から学ぶ機会を得ること、そして彼とこれほど強い関係をもち、そしてこれほど長い間 にわたって彼から学ぶことができる人生がいくつあるかわからない。ですのでこれは私にと っての良いカルマだと思います。それはあなたが想像する以上のものです。祖母が生きてい たときはとくにそうです。祖母はグルジよりも強いエネルギーをもっていました。グルジは アーサナやほかのすべてのことを教えてくれましたが、祖母のエネルギーはそれよりもさら に強かった。


なぜそうお思いですか?


なぜなら彼女が祖父を支えていた人だからです。彼女は家族全員を支えていました。とても 力強い女性で、そしてとてもシンプルな人でした。彼女のエネルギーなしでは、グルジから これほど多くのことを学ぶことができたとは思いません。ただ単にヨガの練習をしようと努 力することだけではなく、あなたをとりまくエネルギーも必要です。彼女はグルジに「彼に アーサナを全部教えなければいけない。彼を素晴らしく育てなければいけない。」といつも 言っていました。そして彼女は私のこともいつも支えてくれました。私にはこう言っていま した。「しっかり学びなさい。この智慧をあなた自身の中で完成させなさい。パランパラが 継承されるように。」彼女は色々なことを言ってくれました。グルジと過ごした時間はとて も長いですが、それよりもさらに長い時間を祖母と過ごしました。彼女自身も素晴らしいヨ ギでした。素晴らしいアイデアをたくさんもっていました。とても賢く、非凡な女性でし た。彼女は本当に博学でした。 私は幼い頃とても病弱でした。ヘルニアやリュウマチ熱を患っていました。そのせいでヨガ の練習をすることはとても大変なことでした。体にとても固い部分もありました。グルジか

ら学ぶことで、体だけではなく生活の仕方も変えなければならなかった。友達がたくさんい たので、よくパーティーにも誘われましたが、いつも断らなければなりませんでした。そし て少しずつヨガの練習に真剣になっていきました。私の意識は完全に変わり、私の意識の焦 点も変わりました。夕方5時を過ぎると、もう翌朝の練習のことを考えていました。練習が ある限り、ほかのことは考えません。意識を乱すものがなくなるのです。

2008年、マイソール



翻訳 MIna I

posted by マイソール京都 at 22:21| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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